台湾南部の旅① LCCで台湾へ、東港の親戚宅訪問と墓参り、地元海鮮レストランで急遽宴会に!

台湾1  旅のきっかけと旅行プラン

私事ですが、太の父は台湾人。日本が台湾を統治していた時代、大正末に台湾南部にある『東港という小さな港町で生まれ、小学・中学校まで育ったということです。父は子供の頃らから優秀で町でも評判だったらしく、地元の期待を背負って、東京の高校・大学に進学しました。まもなく日本は戦争に突入しましたが、父は日本に居残り、大学卒業後は文部省の研究機関に勤務し、その研究所で知り合った日本人である母と結婚しました。終戦後は、関西にある国立大学に赴任することになり、あわせて日本国籍も取得することになりました。太が生まれたのもこのころの話です。その後は、東京の私立大学に教授として招聘され、以来、一生を教鞭と研究に捧げ、日本で生涯を閉じました。

父が死去したのは1999年で、東京にある母方の代々の菩提寺に父のお墓を新たに設けたのですが、それだけでは父が寂しかろうと、生まれ故郷である台湾・東港の町近くのお寺にもお骨の一部を納めることにしました。お寺の納骨堂に分骨したのは今から17年前となりますが、何せ遠い台湾の田舎町のこと、その時以来、寺参りは不義理しています。

太は、自分自身も結構な歳になり、今のうちに『自分たちのルーツを子供たちにも伝えておかなければ』との思いから、今回、たまたま休暇が取れた息子を誘い、久しぶりに台湾南部に親子3人旅となりました。
ルーツを訪ねる旅』では、お寺へのお参りだけでなく、東港の父方の親戚にご挨拶したり、さらには、昔、父が子供のころ、吸ったであろう同じ空気を吸い、眺めたであろう町の景色をこの目に焼き付け、そして食べたであろう食べ物を一緒に味わうことにしよう、と6泊7日の少しゆったり目の計画をたてました。

飛行機は、台湾南部方面の旅行に便利な高雄空港直行のLCCを利用することにしました。
日程は、運航ダイヤや息子の仕事の都合に合わせ、

成田出発⇒東港2泊⇒高雄1泊⇒台南2泊⇒高雄1泊⇒成田帰着

とすることにしました。

もちろん私たちのことですから、東港だけでなく、高雄グルメの聖地・台南まで含め、台湾南部の美味しい食べ物の話題がてんこ盛りです。

さてさて、どんな珍道中になったのでしょうか?はじまり、はじまり

2017/10/24(火)  台湾1 旅は1日目 ☀ 東港

今日の予定は、一路、台湾・高雄空港へ。空港でタクシーをチャーターし、納骨堂のある東港の町外れのお寺に向かいます。父の分骨へのお参りのあとは、そのままタクシーで予約してある東港の町なかのホテルへ、その後、親戚宅に伺いご挨拶できれば・・・・

何せ、17年ぶりのことでもあるし、親戚が健在かどうかもわからない、住んでいるところだって記憶もあやふや、・・・・果たしてうまく会えるだろうか?
たとえ会えたとしても、先方だってこちらのことをどれだけ覚えているかも心配・・・・・・行き当たりばったりで、あとは出たとこ勝負です。

09:00

今回は久しぶりのLCC利用、成田発なので自宅から車で出かけます。フライトはお昼前ですが、空港近くのパーキング(成田ガレージ)に余裕をもって9時前に到着。
車を預け、シャトルバスで第2ターミナルまで送ってもらいます。

利用するLCCは初めてのタイガーエアー。カウンターでチェックインします。
LCCですので、預ける荷物の重さが重要。でも、事前に二人分の預け入れ荷物料金を払って備えているつもりでしたが、手違いで一人分しか申請していませんでした。
失敗!・・・・急遽、預け入れする一個のスーツケースに重量オーバーしない範囲内で詰め直し、あとは機内持ち込み手荷物にします。両方とも、どうにか規定重量の枠の中に納まって、ふぅ~、セーフ。『追加料金なし』で済みました。

さぁ、ここから東港お墓参り&高雄・台南の食歩記のスタート!です。

<タイガーエアー IT 281 成田発11:35 ⇨ 14:35高雄着>

では今日のフライトはLCCなので、成田空港ではラウンジ使えないのぉ~、となりますが、ここは規制区域外のターミナル2Fのカードラウンジで寛いじゃいますね。

 IASS Executive Lounge 2

いつものように旅の無事を祈って、ビールでカンパイ!!
こちらのラウンジは、アルコールはお一人様缶ビール1本まで。おつまみは「柿の種」のみ。航空会社のラウンジに比べてしまうと、やはりちょっと侘しい感じ。
でも、ソフトドリンクはフリーですよ。
約30分滞在で一息ついたので、もう一つのカードラウンジも覗いてみましょうか。

2Fのショッピングエリアを端から端へと移動する感じです。
出発ロビーを見ながら通路を歩きます。

ちょっと覗きましたが、混んでいるようだし時間も気になるので入らないでスルーします。
セキュリティーチェック・イミグレーションも時間がかかるかもしれませんので、
早めに搭乗ゲートに向かいます。

では、南エリアから入りますよ。
トントンとセキュリティもクリアしイミグレもスッーと通過しました。
あっという間に91番ゲートに到着してしまいました。

登場予定時刻の30分前になって、突然ゲート変更のようです。
ギリギリの連絡ですが、お隣のゲートなので許されますね。

初タイガーエアー!飛行機の尾翼の羽根がトラ模様なんですね。
[3席+通路+3席]の座席レイアウト、LCCに多くみられるA320機体のようです。

では機内へ・・
私たちの座席は5列目の3席並びです。
ヘッドカバーのキャラクターは、トラ?ネコ?どっちでしょうか。

流石にLCCは人気がありますね、ほぼ満席のようです。
台湾・高雄はフライトが短時間で近いからLCCでも大丈夫!

予定時刻になりましたが・・・・・、なかなか出発しませんよ。
遅刻した乗客がバタバタと乗り込んできました。そのせいか、もうぅ!

ちょっと30分ほど遅れて、いよいよTAKE OFF

行ってきま~す!
成田のお天気は雲が多いけど、台湾はどうでしょうか?

私たちの席の前4列割増料金の席(足もとが広い?)になっています。
そのためか?ヘッドカバーの紙の色がブルーですね。

飛行も安定しました。ここで食事、ランチが配布されました。
これは機内食は、搭乗前に事前に予約申し込んだ人だけサーブされます。
私達もリクエストしてあります。

どれどれっ、これがタイガーエアーの機内食です。
内容は、厚揚げなどを甘辛ダレに絡めて、煮玉子、お新香、茹で野菜がご飯の上に乗ったアジア風ですね。なかなか良さげ、です。

それから飲み物のリンゴジュースが付いていました。
えっ~~、ビール飲みたいよね!!客室乗務員にビールをオーダー
すると、このランチを全部配ってからといわれました。
しょうがないか、「でも急いでね!」とお願い。


・・30分も待たされてやっと缶ビール登場&購入しました。
ランチはもう食べ終わった後です。アルコール類は有料です。アサヒのブラックは、はじめてなのでお試しで飲んでみました。

 機内缶ビール < 260 NTD >
台湾ビール 80NTD×2、スーパードライブラック 100NTD


ゆっくりビール飲んで、ちょっとだけ寝たらもう窓の外が台湾風景!!
早いですね、高雄市の郊外の街並みが目に飛び込んできました。
もうすぐ着陸体勢。

15:10
はい!定刻よりもやや遅れて台湾高雄空港に到着しました。
高雄は成田よりも少し気温が高いようです。空も晴れていますね。

荷物をピックアップして、空港でプリペイドSIMを購入しましょう。
どこで購入できるのかなぁ?

あぁ~、高雄空港は、父の分骨の際の2000年に一度来ているので、この風景はなんとなく覚えています。あのときは親戚の方が出迎えてくれたので見回すゆとりもなかったなぁ!

親子二人して、並んで両替・・

続いて、斜め前ブースではSIMを購入できるようです。
持ってきたスマホがASUSなので、台湾にぴったりですね。

「Taiwan Mobil」でプリペイドSIM、一週間用を購入します。
スタッフは手馴れていて、本当にあっという間に素早くSIMを交換してくれました。

「Taiwan Mobil」でプリペイドSIM < 500 NTD >

さぁ、東港に向かうため、タクシー乗り場に移動します。
予定よりも遅くなっているので少々急ぎます。外に出て左手奥がタクシー乗り場のようです。

もう皆さんすでに移動したようで、全然タクシー乗り場には人がいませんが・・
タクシーは2台停まって客待ちしています。
前のタクシードライバーが手ぐすね引いて、じゃなくトランク開けて待っていてくれました。

多分、一言も言葉が通じないし、行き先が高雄から外れにあるお寺なので、住所とgoogleのMAPのプリントを渡しました。
・・すこしMAP見て考えていましたが、誰かに電話しいました。
しばらくしてどうやら場所がわかったようでした。
では運転手さん、よろしく頼みますよ、スタート!

ドライバーの登録書をとりあえずパチリッ、念のためです。

一行は東港の町の方向に向かいますが。
まず最初に、父の納骨堂のお寺に立ち寄ってお参りします。

空港から高雄の街なかを過ぎ、工場や田園景色が続く道を30分ほど行った先に目指すお寺はありました。比較的大きなお寺で、地元ではそれなりに有名なところのようです。

東津紫竹林慈性仏堂

このお寺に着くやいなや、タクシードライバーがこのお堂に駆け出して、身を投げ出すようにしてお参りし始めました。あまりにも素早い行動にびっくり、そしてこっちの人は信心深いんだなぁと改めて感心です。

このお寺の納骨堂に、父の分骨が収められています。

この右手に見える奥に納骨堂があるのですが、今は時間外だからでしょうか、鍵が閉まっていて係の方も誰もいません。
こういう場合は、建物の入り口手前にある事務所連絡電話で納骨堂のドアの鍵を開けてもらうよう頼むらしいのですが、言葉が通じないのでこれは困ったことになりました。

どうしよう??
そこで、ドライバーに身振り手振りで代わりを頼みました。
ドライバーにはなんとなく伝わったようで、電話してくれました。グッドジョブ!!

数分後、お寺の事務所の方が来てくださいました。
無事、納骨堂のドアの鍵を開けてもらえました。
助かった!

納骨堂の中はこんな感じです。
コインロッカー風にお骨を納めるボックスがずらり並んでいます。
最初の納骨時に控えておいた区画番号のメモを手渡すと、お寺のスタッフが父のお骨の場所まで案内してくれました。

17年ぶりに父のお骨と再会です。十分時間をかけ、お参りをさせてもらいました。
久しぶりにお参りができて、なんだかホッとし、心が満たされました。
今回の一番のミッションクリアでき、まずは一安心です。
それにしてもドライバーが協力的で助かりました。あとで十分チップをはずまなくっちゃ。

このお寺は、納骨堂の建物そのものはさほど大きくありませんが、敷地は思いのほか広く、また敷地内には高さ30Mほどはありそうな大きな白い観音様が立っています。

ではこの後は、川を渡って東港で宿泊予定のホテルに向かいます。
ここから車で10分くらい?のようです。

高雄空港~お寺~ホテル タクシーチャーター 800 NTD >

Lu Fang View/綠芳水岸 ホテル

東港では、この河口近くにあるホテルに宿泊します。
一階がレストランとホテルカウンター、客室は10部屋程度で、こじんまりしたホテルというよりも民宿に近いです。
以前東港に来たときには、もっと街中にある昔ながらの古いホテルに宿泊しましたが、今回は、部屋にテラスがあり眺めが良さそうなこのホテルに決めました。
結果、小ざっぱりしていて眺めも心地よく、正解だったようです。気に入りました。

お部屋は、6Fの角部屋。ダブル+シングルベッドの3人用ファミリールームです。
テラスから眺めると、正面に川がいっぱいに広がり、遠くのほうに、先ほどお参りしたお寺の大きな観音様がかすかに見えます。左手方向が東港の漁港で、その背後が町の中心部です。ここから歩いてもさほど時間がかかりません。立地もよさそうです。

ここで少し荷物を片付け、持参した親戚へのお土産を仕分けして、しばし休憩します。

17:15
そろそろ暗くなってきました。あまり遅くならないうちにまずはご挨拶だけでもしておこう!と親戚宅を訪ねることにします。

とりあえず、父の従妹さんが街の市場の近くで経営する金物・電器店に行ってみることにします。前回来た時には、父の従妹の娘さん夫婦に街を案内してもらい、お世話いただきました。

えっ~この辺だと思うのですが、看板が前とは違うようだし、シャッターも閉まっています。閉店時間にしては早いし、どうも長い間、お店は使われずに閉められている様子!
これは困ったまずここを通じ窓口にして他の親戚の方にもお会いしようと考えていたのに予定が狂いました。でも、明日お昼にもう一度来てみて再度様子をみることにしましょう。
(後で分かったことですが、高雄に転居されてもう東港には住んでいないとのことでした。)

では次に、漁港近くに住む父の甥(つまり、の従兄弟にあたります。ここでは仮に『謙さん』と呼んでおきます)の家に行ってみます。17年前に会ったときは、謙さんは東港と小琉球を結ぶフェリー会社を経営し自らもフェリーの船長として元気に活躍されていましたが、今は80歳を超え、果たして元気でおられるか、ちょっと気になります。

昔の記憶を頼りに、漁港に面した謙さんの自宅を探しますが、周りの景色が一変しています。謙さんの自宅前の道路のすぐ向こうは、昔は漁船だまりとフェリーの船着き場でしたが、今はその海の一部が埋め立てられ、新たに大きな観光海鮮市場が建設され、フェリーターミナルも立派な建物に一新されています。
周辺が開発され、劇的に変化しているではないですか!?びっくりです。

(これは翌日撮した謙さんのご自宅写真です)

謙さんの自宅前に差し掛かりました。
(上の写真の中央、2つの看板に挟まれた3階建ての建物がそれです)
ところで謙さんは、昔のままの家に今も住んでいるでしょうか??かなり不安になってきました・・今はどこかに引っ越したとか・・

自宅のすぐ前の道路で屋台が開いていたので、そのお店の方に、以前撮した「謙さんの顔写真」を見せ、この人は家に居ますか、と尋ねました。すると、お店の方はすぐに分かってくれて、わざわざ謙さんの家の中に入って客が来たと人を呼んでくれました。

まもなく謙さんが出てきて、ホッと一安心。元気だったんですね、よかったわぁ~。
あれから歳は重ねたものの、風貌は以前と全然変わっていません。謙さんも東京からの来客だということで分かったようで、互いの再会を喜んで、二人してハグしました。
ただ、ここで問題なのは、謙さん台湾語オンリー、日本語も英語も通じません。私たちも、逆に、台湾語・北京語とも全くダメなので、互いに通じる言語がなく、うまくコミュニケーションができません。

ちょっとだけお話し(身振り手振りと筆談ですが・・・)持参したお土産を手渡したあと、今日はご挨拶に訪ねただけですので明日朝また改めて来ます、と通じないとは思いましたが話して帰ろうとしたら、「夕飯を一緒に食べよう!」みたいなゼスチャーがあって、帰るところをストップされました。
謙さんも意思疎通がうまくいかずもどかしく思ったのか、「ちょっと待って」とポーズし、何やら家の2階に上がり人を呼びに行きました。少しして現れたのは40代の女性、そして彼女の方から「Do you speak English?」と英語で話しかけてきました。「Yes, I do」ということで、彼女を介してようやく会話が成立できるようになりました。良かった!!

そして、彼女の通訳で、そこではじめてが謙さんの歳の離れた従兄弟だ!!』ということが分かって、謙さんが驚いていました。こちらは謙さんが17年前とちっとも変わらない姿だったのですぐわかってハグしましたが、謙さんは、誰だかよくわかんないけど日本人であり、知っているような人のような気もしたのでハグした!!とのこと。
は以前とは違って白髪がだいぶ多くなり、また、あれからかなり太ったので、最初は誰だかわからなかったそうです。

そこで改めてハグハグしました。そして「夕飯一緒に食べないと帰さない!!」ということになって、ご馳走になることになってしまいました。
謙さんは、すぐに携帯であちこち電話し人を呼んでいる風。
どうも何人か一緒に宴会することになりそうです。
事前のアポもなく、急に現れた我々のような客に対し、ここまで対応してもらうのには恐縮の限りで、申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、これが台湾人の一族・ファミリーに対するスタイルであり、断る方が逆に礼儀にもとります。父も生前、台湾から来た友人知人などに対し、同じような状況で同じように接していたことを、度々目にした記憶があります。ここは、厚かましくお呼ばれすることとしました。

 魚農海産

招待いただいた食事処は、謙さんの自宅から歩いても5分とはかからない、漁港の一角にありました。この上の画像は、GoogleMap から転載したお昼の様子のもの。駐車場の奥に見えるセミオープンのお店がそれです。
このローカル色たっぷりの海鮮レストランで夕飯をごちそうしてくれることになりました。
家で待っていると、一台の車がわざわざお迎えに来てくれて、謙さんの長男さんがレストランまで案内してくれました。

ここは店頭で魚をえらび、好みの料理法を指示して食べさせてもらえるお店。
私たちにも、どの魚介が好みか、どのようにして食べるのが好きか、いろいろ聞かれましたが、ここはすべてお任せしてご馳走になることに。なんだかワクワクします。

大きなテ-ブルに着くと、我々の円卓にどこからともなく一人二人と人が増えていって、最後には我々含め11人となりました。どなたぁ?皆さん初対面です。

謙さんが通訳を介してそれぞれの人を紹介してくれました。
謙さんの長男夫婦、姪夫婦、孫娘の新婚夫婦(彼女のお腹にはもうすぐ生まれるベビーも)の6人です。皆さん、それぞれ東港の町なかに住居を構えているとのこと。
謙さんと通訳女性をあわせて先方が8人、当方が3人の計11人の顔ぶれとなりました。

僅かこの30分のうちに謙さんが集合命令をかけ、招集してくれたようです。
皆さん、東京からやって来た遠戚の我々のために、何の事前予告もないなか、急遽駆けつけてくれたのには本当に感謝、感謝です。やっぱり台湾人のファミリー愛はすごい力!!

そして、美味しい海鮮をいただく楽しい宴会が始まりました。
通訳女性のほか、孫娘夫婦も英語が話せ、すぐに打ち解けて会話が弾みました。
そこで分かったことは、17年前訪れた際にお会いした父の親戚の方々は、亡くなった方や転居された方も多く、また、世代が替わって、昔のように一族郎党が一堂に会する場も減って、親戚づきあいも薄れてきたとのこと。今は、台湾社会と言えども核家族化が進んでいるんですね。ここに集まってくださった方々も、謙さん直近のファミリーでした。

でも、謙さんは父の実家の本家筋の跡継ぎにあたる人なので、今回、彼のファミリーの皆さんと出会え、また、うちの息子も紹介できたので、将来、何らかの形で交流が続いていってくれれば有難いと改めて思いました。

謙さんは、船長職を引退しフェリー船も売却し、今は悠々自適の隠居生活。そして長男さんは、海運会社を新たに興し、小琉球をはじめ台湾内各地との間での建設資材の船舶物流事業を進めておられるとか。
父の生家は、東港で代々お菓子問屋を営み町でも有数の資産家でしたが、戦争とともに家は次第に没落するようになり、当時、東京の大学に通っていた父への学費仕送りも途絶えるほどに一家は困窮したと聞いています。そういった状況のなか本家に生まれた謙さんは、子供のころから大変苦労したそうです。でも裸一貫から頑張ってフェリー事業を興し、本家を再建復興したとのこと、また、長男さんもさらに事業を拡げ、今では皆幸せに暮らしていることを聞いて、本当に嬉しくなりました。

宴会では、そういった諸々の話をしながら、皆で美味しい料理を次々と平らげていきました。

魚のから揚げ、マグロとサーモンのお刺身、ゆでエビ、台湾たけのこ、貝の香草蒸し、茹で貝、マナガツオの蒸し物、牡蠣、香草野菜の炒め物、スープ、チャーハン・・・・・料理が次々と出てきます。
最初のうちは、いくつかの料理は写真を撮ったのですが、そのうち次第に話が盛り上がって、後の方から出てきた料理の数々は写真撮っていません。ともかく、これでもかというくらい沢山の品々を、十分にご馳走していただきました。(今から思うと、我々3人のうち誰かがその時の様子をしっかり写真に撮っておけばよかったのに、残念!)
台湾の接待は、お客さんがお腹いっぱい食べてもうコレ以上食べられない!!
とお料理を残さないといけないんですよね、確か!!
いやー、本当にお腹いっぱい、ごちそうさまでした。

ところで、この宴席で分かったことですが、通訳の女性はなんと謙さん宅に住み込みのお手伝いさんでした。(彼女の名前は、Janeさん)
Janeさんは、もう10年前から働いているとのこと。台湾人のように見え、当初、彼女はてっきり謙さんの娘さんか姪っ子さんと思っていましたが、彼女は実はフィリピーノ。はじめは全く中国語が話せなくて台湾に働きに来たけど、今や中国語ペラペラ、漢字もちょっとだけ読めるらしい、すごいですね。
今回はJaneさんの通訳のおかげで、父が育った東港の街のこと、父の実家のこと、その後の一族の動向、最近の謙さんファミリーの様子など、これまで知らなかったことをいっぱい聞けて、とっても有意義な旅となりました。

最後に集合写真をパチリッ!頼もしい親戚が台湾にいて私たちも幸せ♡

明日は、謙さん、長男さん、Janeさんの3人が朝9時にホテルまで迎えに来て、父の実家のお墓のあるお寺や、町の案内をしてくれるとのこと、ありがたいことです。

ここでお開きに!
ホテルまで車で送っていただきました。

・・・・・・・・・・・

部屋で少し休憩した後、お腹は一杯なものの、飲み足りない気分もあって、我々親子3人だけで東港の夜の街に繰り出してみようということになりました。今日いろいろあった一日の反省会と慰労会を兼ねて・・・

ホテルから歩いて5分、町の中心地です。

時間はまだ10時前、車はあんまり通りませんが、お店はまだ開いています。
居酒屋にでも入りましょうか?

 東港の熱灼屋

名前もわからないような小さな居酒屋を見つけ、ちょっと軽く一杯、ビールとイカの炒め物をつまむことに。
そしたら、お客さんみんなが頼んで美味しそうに食べている不思議なスープを発見!真似して注文したら、運ばれてきたのはなんと魚の入った味噌汁でした。ついでに、台湾ビーフンと貝炒めをつまみに追加オーダー。
今日いろいろあった出来事で、予想外にすべてが良い方向に転がり、ほっと安心できたことで、ビールも進みました。結構飲んだな!
実は、先程の宴会では、台湾の親戚はみな下戸でアルコールが飲めません。皆さん、お茶やソフトドリンクです。私達だけビール飲んでいるので、かなり遠慮気味な飲み方だったので・・、その分、ここでは心おきなくビールいっちゃいました。

東港の熱灼屋 1100 NTD >

やっぱり台湾のファミリー思いは凄いので、皆さんに迷惑をかけることになりましたね。
明日は、父の先祖代々のお墓のお参りに連れて行ってくれるようです。

長かった台湾・東港の一日は、この辺で。
おやすみなさい!


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コメント

  1. EIJI より:

    お父様の分骨のお参りが出来て良かったですね。それも息子さんと一緒に。

    私も父母の墓は信州で自分が墓守なので、息子を菩提寺の後継ぎ和尚に紹介などしています。

    私の母方の曾祖父は長野県師範学校の2期生で若い頃に台湾(宜ランという北部です)で教師をしていました。

    曾祖父の息子(私の祖父)は田舎で医者をしていましたが飽き足らずシャム国へ単身赴任し彼の地で3年目に腸チフスで亡くなりました。葬儀をした現地バンコクの寺に私も行き、寺に残された名簿から祖父の名前を見つけた時には感激したものです。

    台湾もタイも高木家、瀬川家に縁ある国なのですね。